showもない

ぶっ飛んだピアスを身につけて欲しい

奢る事について

会社では若手と言う立場上、上から奢られる機会もある。一方で後輩ができ、先輩として奢る立場にもなった今、思うことがある。

 

昔は奢る奢られる事なんて、マウンティングの取り合い位にしか思っていなかった。

「奢ったんだから、その見返りを寄越せ」「お前よりも金があるぞアピール」としか感じず、「奢らんでいいから、対等に扱え」と憤慨していた。今思えばひねくれている。だから奢られた際にも申し訳なさそうに「すみません、ありがとうございます。」とマウントを取られた事を認めたくない風に憎たらしげに伝えていた。

 

でも三十路が見えてきた今感じるのは、大人になると一緒に遊んだり、ご飯に行ってくれる人と言うのは貴重なんだな、と言う事だ。友達はいちおいる。けれど家庭があったり仕事があったり、今晩どう?と軽く受け答えてくれる人はドンドン少なくなる。スケジュールを調整してようやく会えるけれど、そこまでして会いたい人なのか?疑問が湧いてくる。そういった前提に立てば、自分と一緒に楽しい時間を過ごしてくれる、その事実に感謝があり、その思いから奢る、と言うのは至極納得のいく話だ。気付いてからは早かった。堂々と奢られられる。ヘラヘラしながら「ご馳走さまでーす」と軽く言えるようになった。せめて気持ちよく奢らせてあげたいのだ。後輩の鑑である。

 

そう気付いたのは後輩が出来てからだった。

その後輩は奢られるのが嫌いで「ありがとうございます」とは言ってくれるが、内心としては本位でないの透けて見える。

ただ、僕としては先輩から奢られた恩を後輩に返しているだけで、脈々と受け継がれていけばいいな、と思うだけなのである。結局エゴにも似た押し付けで奢っているのだ。けれどそのエゴは感謝の上に成り立っている。

実は仕事も似たようなものだと思ってきて、先輩から後輩へ、色んな知識や経験だけでなく感情や誇りも引継ぐ。それを歯車と呼ぶのなら、意外と心地いいのかもしれない。

 

ちなみに異性間での奢りはまた別で、私は女性に奢るのは先行投資と思っている。どうせ結婚したならば私の給料で養う事となる(本音としては兼業が理想だが)。そう、未来の嫁候補であれば、多少の飯代など安いものだ。

 

ただ中にはプライドが高く「マウントを取られている気分になる」方や一方的に奢られる不公平感に耐えられない方もいるらしく、奢りを拒否したり他で返したりする。正直めんどくさいが、お財布に優しいのでありがたい。

 

なんの話や。寝よ。