showもない

ぶっ飛んだピアスを身につけて欲しい

チェリー

特に書きたいネタもない。

けれど何かを書き起こしたい。自分の中の何かを言葉で吐き出したい。そんな気持ちだけが先行して、今この文章を書き連ねています。目的などない。意味もない。書きたいだけ。とりあえず書き始めればそれなりに何かがアウトプットされるのではないか?と雑な期待を胸に、自分へ圧力をかけていく。そうまでして書きたいこの気持ちが何なのかは分からない。広大なインターネットの海に、またひとつ便所の落書きが増えるだけだろう。どうせはてなブログにもnoteにもそんなインターネットデブリは溢れているのだから、この文章もうまく紛れてくれる筈さ。chatGPTだかのAIが学習する際のノイズになって欲しいなんて思うのはひねくれているかな。

 

 

youtu.be

誰か彼らの詳細を教えてくれ。イギリス出身としか情報がない。facebookを見る限りまだ活動しているようなんだ。何故かサブスク視聴できるから助かっているが、分けわからん同名のパンクバンドと同じに扱われている。不憫だが最高のバンドなんだ。

僕はきっと旅に出る

ブログを書くのが久しぶりだ。

ふと昔の記事を読み返し「我ながら中々良いことを書くじゃあないか」と過去の自分を誇るような羨むような気持ちなりました。

とは言えとっさに文章を起こすようなネタもない。

どうしようか、と悩む。

そんな間もなく、勢いのまま筆をとったのが今だ。

 

「モーニングページ」を書くとこんな感じにあてもない字面をツラツラと並べることになるのかしらね。ただ、ノートの中に閉じ込められる思いとは違い、この文章はインターネットの海を漂い世界中に拡散される。そう憚る事も書けない。逆に考えれば、私がこうやって文章を吐き出す行為を一人こっそり処理するのがモーニングページなんだろう。何だかやらしいな。頭の中の有象無象を文章にして吐き出すのは気持ち良いからね。ある意味インターネットの海に放流して晒す方がよっぽど変態的かもしれない。

 

youtu.be

カネコアヤノが狭く深く鋭いならば、ローラは広く浅く温い。

ありふれた人生

BUMP OF CHICKENの曲の中に「ベル」と言う暗い歌がある。

「僕のことなんかひとつも知らない癖に」と言う歌詞が、当時10代でひねくれていた心境に刺さっていた。

 

最近聴くと、他の部分の方も染みるようになっていた。それが以下だ。

 

話したいことは山程あるけど

なかなか言葉になっちゃくれないよ

話せたとしても伝えられるのは

いつでも本音の少し手前

 

わかる。

そうなんですよ。

どうしたらいいんだろうね?

思考の言語化は昔より上手になってきたけれど、論理的でない話で、ぐちゃぐちゃになった感情の整理は本当に難しい。

ただ藤原基央も結局本音を言えるようになったわけでもないようで、「花の名」の中でこんな事を言っている。

 

簡単な事なのにどうして言えないんだろう

言えない事なのにどうして伝わるんだろう

 

言ってる事一緒やんか、と。

この間の数年で成長してないやんけ、と。

けど伝わって良かったね、と。

当時の藤くんと同い年くらいになってしまったけれど、僕が言えない事も伝わっているのでしょうか。

ガラスのブルースを再録していた28歳がだいぶ歳上と思っていたのに、普通に追い越してしまったよ。

エンドロールには早すぎる

会社の後輩がずるい。

まだオフレコな理由で、最近ちょっと凹んでいる。正確には腹立たしくやるせない案件だけど、それどころでもない仕事の立て込み時期な結果、凹んでいる。そんな折の金曜日残業中、後輩が気遣ってくれたのかメールを一本くれた。

 

要約するとこうだ。

「最近遅いですよね。お疲れ様です。土日は音楽でも聴きながらゆっくり休んで下さいね。久しぶりに聴くとBUMP OF CHICKENプラネタリウムとか良いですよ。」

 

その帰り道からorbital periodを鬼リピしていた。プラネタリウムはいい曲だった。昔はアルバムの一曲に過ぎなくて聴き流していたけれど、歳を経て染みるものがある。ずるい。こんなのプラネタリウムを聴くたびにその後輩を思い出してしまうじゃないか。

 

楽曲は思い出の付箋、って言っていたのは誰だったかな。音と匂いには、記憶に埋もれた当時の感情を呼び起こす力がある。

 

後日後輩と話した限り、そのやり取り自体うろ覚えだったようだ。冬にはスノースマイルとか言ってやがった。あの野郎め。