showもない

ぶっ飛んだピアスを身につけて欲しい

吉澤嘉代子はメンヘラではない。

新曲「残ってる」が公開になりました。

 


吉澤嘉代子「残ってる」MUSIC VIDEO

 

初聴の感想としてはふたつ。
「うわ、メンヘラくせえ。」
「なんかむっちゃエロい。キキに憧れて魔女になりたかった少女ではなくて、20代の東京の女だ。」である。

 

とは言え、ファンクラブ会員としてはこの曲が新たに書き起こされたものでなく、以前から暖めていた楽曲がようやく陽の目を浴びたものだ、と知っています。
なので吉澤嘉代子が最近、似たような経験をして、即座に歌詞に書き起こしたわけではない。断じて違う。そんな男おったら殺す。以前から彼女は「東京の20代の女」なのである。それを露骨に出してきた、それだけの事である。

 

さて、妄想系シンガーソングライターと銘打たれる事の多い吉澤嘉代子氏ですが、では何故僕は「メンヘラくせえ」と思ったのか。

所謂メンヘラってえのは「相手への執着」が度をすぎていたり、感情を抑えきれずに出た行動が異常であったりするから問題視される(貴方を殺して私も死ぬ!リストカット等の自傷行為云々…。)と思っているのですが、

その点、吉澤嘉代子氏のなんと健気な事か。この曲での執着の対象はあくまで「身体の奥に残っているあなた」と「一夜にして街を超えていった季節」であり、名残惜しさである。
「あなた」ではなくその体感。もう少し余韻な浸っていたい。決してのんびりとしているわけではなく、自分の気持ちに対して、時間があまりに早く過ぎ去る事(と言いつつ「早朝」と言う小ぶりなスケール感がいじらしい。)への違和感。それに我儘に異を唱えたい、そんな楽曲なんだと感じている次第です。

 

この曲に相手への執着はない。
あれば「もっと一緒にいたい」や「すぐまた会いたい」と言ったニュアンスのフレーズが出てくるはず。安易ですね。

だからこそ吉澤嘉代子はメンヘラではないのだ。

 

余談ですが知人がTwitterで「かき氷色のネイルが剥げていた」で秋を表現する事への感銘を呟いてしました。その折に気付いたのですがこの曲、一番では「季節が変わった」事へは言及せず「昨日から今日への」変化に留めています。2番に入って初めて季節が変わる風景描写へシフトしています。上記の歌詞で夏の終わりを隠喩した後になって「夏は寒々しい」と言い、曲の最後で秋の到来を歌っているんです。でも「昨日を生きていたい」と締めくくる。時間の流れを冷静に捉え、夏から秋への季節の移行を受け入れている、その一方で気持ちだけはまだ夏に、昨日の余韻に取り残されている。時間感覚のダイナミクスと体感のズレへの抗いが、控えめに言って最高です。ああもう。

 

11月のライブで聴けるだろう、楽しみです。